名称:
主祭神:
社格等:旧官幣中社、建武中興十五社
主祭神の護良親王は別称を
護良親王の読みは一般的には「もりよししんのう」だが、当社では「もりながしんのう」と読む。
護良親王は鎌倉時代末期〜建武政権期の皇族であり、鎌倉幕府打倒に大きく貢献した人物である。
建武政権開始後は武士、特に足利尊氏を強く警戒して強硬な態度を取り尊氏に融和的な後醍醐天皇に遠ざけられた。
他の皇子との継承権争いに係る陰謀もあり、鎌倉に幽閉されていた所を中先代の乱で鎌倉を去る足利尊氏の弟、直義の命によって暗殺された。
鎌倉宮は彼が幽閉され、没した場所に鎮座している。
結果的に護良親王の懸念通り尊氏は後醍醐天皇に叛いて幕府を開いており、見識は優れていたがその武断的態度によって身を滅ぼした悲運の人物と言える。
建武の中興に功のあった人物を称え、明治政府によって創建・振興された建武中興十五社の一。旧社格は官幣中社だが神社本庁に所属していない為、別表神社では無い。
鶴岡八幡宮からは徒歩10分程度の場所にある。
御朱印。見開き型で、巫女さんが御朱印帳に祈祷を捧げてくれる。
頂いたパンフレットには國學院大の学生・OB謹製の和歌が掲載されており、宮司さんは和歌に凝っているようだ。
令和5年12月31日 奉拝
官中 2/22